2026年4月16日

 遺品整理回収の日。

 今日は半分しか整理できなかった。

 今日来てくれた人はもともと父の会社で働いてくれていた人で父が頼んでくれたのだが、祖母の家の物量に関する父の認識がだいぶ甘かったようでそんなに多くないと思われていたらしく、部屋に入った途端「ははぁ」と唖然とした表情をされていた。今年に入ってからでも父は何度か泊まりにきていたし、そもそも子供の頃には自分が住んでいた家なのだから祖父がどのくらい物を持っていたくらい把握していそうなものだが、そうではなかったらしい。祖母の家は大きな家具も多かったが、見えない物もたくさんあった。それは僕が遺品整理をしてみてわかったことではあるのだが、見せている引き出しに多くの物が収められているだけでなく、引き出しの奥の見えない奥から物がどんどん出てくるのだ。それらの物を出していくうちにリビングの部屋半分を占めるようになっていた。

 今日はそれらの見えなかった物を引き取ってもらうことはできず、大きな家具のうちの7割程度を引き取ってもらった。家具も全て引き取ってもらうことはできなかったわけだから父の認識はやはり甘かったということではあるのだが、それでも家具は思っていた以上に大きかった。家の中で解体をした上で持って行ってもらわなければならなかった。

 大きな家具が7割なくなると部屋は結構すっきり見えるものではあるが、上述したようにリビングの半分を占めている物はまだそのままだ。

 そのリビングに置かれた中でも、リビングに持って行くこと自体が大変だったのが本だ。かつては子ども部屋として使われていた部屋にたくさんの本が収められていた。そこには講談社の世界文学全集や日本文学全集も置いてあって、世界文学全集は全部、日本文学全集もいくつかはそのままもらうことにしたのだけれど、そういった全集や図鑑の類いがとにかく多かった。それらの本は見た目以上にずっしりと重い。訪問販売で購入したと思われる百科事典のような大判の本は重すぎて一度に6,7冊持つのがせいいっぱいだった。それらが壁一面に置かれていたのだが、これだけの大型の本があってよく床が抜けなかったものだと思った。

 本好きにとってはかなりショックでもあった。本は、残された人にとってはとても処分に困るものであるということ。僕は大型の本はそこまで持っていないが、単行本はかなり多い。数が多ければ少し移動させるだけでも大変で、いちいちその内容を見る余裕もない。祖父の本を整理していて気になる本はいくつもあったが、中身を確認する余裕はなかった。運んでも運んでも減らない。1冊1冊が重いから、中身を確認して面白かったとしても現実的には残すことは難しいのだ。

 今、それらの本はまだリビングに置いてある。余裕があればまた中身を確認してみたいとは思うけれど、今日で一気に疲れてしまった。せめて文学の本は、今では入手しにくい本もあると思われるから一度確認しなければとは思うけれど。吉田健一の本は今日既に引き取ったが、そういった本がまだまだありそうではあった。

 今回で処理できなかった分はまた日を改めて取りに来てもらうことになる。あと1回でギリギリ終わるのではないかという分量。

 別れを惜しむ余裕もなく、今日は体がバッキバキだ。早めに寝ることにしたい。


2026年4月15日

 明日の遺品整理回収の向けて今日も祖母の家へ。妻のおかげもあってかなり整理が進んだ。

 祖父母の写真をまた見つけ、僕はその写真の整理というのか確認をしていた。近いうちにスキャンしてデータ化したいとは思っているが、一旦は全て確認してプリントされたものをそのまま残すか処理するかの判断をしていく予定。

 やはり祖父は真顔の写真が多いなぁと思うが、中には笑顔の写真も何枚かあり、それを見つけると嬉しくなる。厳格なイメージの強い祖父ではあるが、僕の前では笑うことも結構多かったのだ。

 祖父母の家に行ったときには必ず「シューアゲイン、アイシーユートゥマロウ、グンナイ」と言って硬い握手をしたが、そのとき祖父は笑顔だったのだ。たびたび「どれ、思いっきり握ってみろ」と言って僕の握力を確認しようとしていたが、「おお、強いじゃなかい」と言ってまた笑顔を見せていた。あのときは満面に近い笑みだったはずだ。ところで「シューアゲイン、アイシーユートゥマロウ、グンナイ」というのは「See you again, I’ll see you tomorrow,, Good nigtht」のことだったわけだが、それが分かったのは中学に入って英語を学習してからのことで、しかし「アイシーユートゥマロウ」と言ったのに翌日に会ったことは一度もなかった。あの挨拶がなければ祖父と話す機会が少なかっただろうと思えば、形だけの挨拶だったとは言え、祖父との間にお決まりの挨拶があって良かったのだなぁと思う。

 両親の結婚式のときの写真もあった。もちろん母方の両親も写真に載っていて、母が祖父に連れられてウェディングロードを歩く姿を初めて見たような気がする。若い頃、父はそこそこ男前で、母は美人だったのだなぁと思ったが、見ていて恥ずかしさもあった。

 テレビボードの下の引き出しにWindows95の教則ビデオがあった。

 僕が初めてパソコンを使ったのは小学5年とかだったかと思うが、そのパソコンは祖父に買ってもらったものだった。祖父の家に行かなければパソコンに触ることができず、ほとんど自由に使えなかったため、パソコンを使って何かをすることを覚えることはなかったが、そのパソコンを祖父も興味深そうに見ていた。当時、パソコンはかなり高かったが、僕がパソコンを使えるようになって将来役に立つ人材になることを期待していたのかもしれない。

 僕が覚えている限り、祖父がそのパソコンを触っていた記憶はなかったが、教則ビデオがあったということは祖父も学ぼうとしていたのだ。パソコンを使って僕とコミュニケーションを図ろうとしていたのかもしれない。結局のところそれは叶わず、僕がそのときもっと主体的にパソコンのことを知ろうとしていれば違ったのかもしれないが、当時のパソコンはあまりに謎な箱でしかなかったのだ。何ができるのもそもそもわかっていなかった。

 祖母が亡くなったことですることになった遺品整理ではあるが、残った物からは祖父のことを思い出すことが多い。この数年で最も祖父のことを考えているかもしれない。いつだってずっと2人で行動してきた祖母のことだ。祖父が亡くなってからも、祖父がいたときの状態をそのまま保とうとしていたのだろう。ゴミも同時に残すことになり、それを妻が怒りながら処理することになったのでもあるが。

 何にしても明日でほとんどの物が片付くことになる。祖父母の家はまだ残るが、祖父母が住んでいた家としてはお別れだ。