昨日の遺品整理はやはり思っていた以上に疲れていたようだ。昨日は夕飯を食べてから一気に眠気がきて1時間くらい寝てしまっていた。その後一度起き、風呂を浴びて『ベター・コール・ソール』を観た。『ブレイキング・バッド』を観終えたのは結構前のことだが、長いシーズンだったからかすぐには『ベター・コール・ソール』を観る気にはなれずにしばらく空いてしまった。一昨日から見始めたが、面白くてこれも一気に観てしまいそうだ。
遺品整理で昨夜はかなり疲れていたが、一度寝てしまったせいもあってかその後はあまり寝ることができなかった。睡眠は持病が関係していることだから自分ではどうしようもない「手に負えない」ことである。
友田とんさんの『「手に負えない」を編みなおす」を読み終えた。そこで自分の体も手に負えないと書かれてあって、持病のことや、軽微ではあるがたまに出てくるどもりのことを考えた。
それに加えて、人自体が、体というもっとも手に負えない自然を抱えている。日々、食物を口にして排泄する。その入り口と出口くらいは自分の意思で制御できたとしても、その間では私の意思とは関わりなく体が、粛々と消化、吸収、新陳代謝を進めてくれている。健康を維持しようと努めたり、何かしらの働きかけはできるだろうが、根本的なところでは自身の体といえども、完全に制御することはできない。どれだけ気を配っていても、どこかの調子が悪くなったり、昨日しなくなったりする。病気ひとつとっても望んで罹るわけでは当然ない。 友田とん『「手に負えない」を編みなおす』(柏書房)、pp.218
今も続く持病が出始めたとき、僕はヨガを結構本気でやっていて、ヨガで身につけたことによって、その持病で出てくる症状を何とか抑えることができないかと考えていた。中にはうまくいったこともあって、今も続けていることがある。
ただ、いくら制御しようとしたところで、症状を完全に抑えることは無理だった。日常の生活に支障をきたさないようにするためには医師から服用された薬が必要だった。薬は毎日飲まなければならず、もちろん酒とは相性がよくないものだから、基本的には酒を飲まなくなった。自分だけでは手に負えないものであり、薬で対処する必要があったのだ。それは仕方がないと割り切っていたが、体に対する対処の仕方は特に人と対立することがある。薬を服用することで症状を抑えることは、ヨガをする特定の人たちの考えとは相容れないことだった。彼らに薬を服用していることを話すと信じられないくらいに集中砲火を浴びた。でも自分ではどうにもできないことなのだから、薬を服用しなければ仕方がないじゃないか。僕も好き好んで服用しているわけではない。それから少しヨガとは疎遠になってしまった。
どもりもそうだ。伊藤あささんの『どもる体』にもあったように、どもりが目立たないように工夫することはできても、症状自体を完全に制御することはできない。
持病もどもりも「手に負えない」ことを受け入れた上で対処法をどうにかして自分自身で「編みなおす」必要がある。この「編みなおす」ことを楽しめられればいいのだろうが、どう楽しめることができるか。一つは友田さんもそうしていたように、その変化を観察していくことだろう。毎日毎日変化し続ける体を観察すること。これはヨガで学んだことで、ヨガからは少し離れてしまったが辞めたわけではない。
「手に負えない」。友田さんはいつもそうだが、人生に寄り添うキーワードを提示してくれ、それは人生を前に進めてくれるものである。