昨日から妻が体調を崩している。扁桃腺が痛いらしい。熱は37度少しではあるが、しんどいようでずっと寝ている。

 先日のBook Reading Clubを聴いてからまた改めて随風を読み直したくなり、02号の早乙女ぐりこのエッセイ『ふぞろい餃子たち』を読んで、その内容の素晴らしさに感嘆するとともに、エッセイに書かれていたことと似たような、いつかの記憶が蘇ってきた。

 餃子作りをを繰り返すうちに、市販の皮の特色がわかってきた。最寄りの店で売っている皮は薄くてぱりっと焼けるけれど破れやすい。某高級スーパーの皮は厚みがあるが固くて包むのにコツがいる。駅前の大型店の皮は大判を謳っていてもそれほど多くのタネが包めない。みんな違ってみんな微妙だった。  だったら皮も自作すればいい。そう気づいた話たちたちは次の日曜日に早速必要な材料を買ってきた。お湯と薄力粉と強力粉をボウルに入れて箸でさくさく混ぜていく。まとまった生地にぐっと体重をかけてこねていると、子供の頃の粘土遊びを思い出した。スケッパーで等分した生地を団子状にし、平たくつぶしてい薄力粉をまぶえす。家にめん棒がないので、その辺にあったワインの空き瓶を、団子状の生地の上でごんごろ転がして成形していった。 早乙女ぐりこ『ふぞろいの餃子たち』「随風」(書肆imasu)pp.46

 もう数年前のことではあるが、オシャレなレストランに行った時にセットドリンクでクラフトコーラを選ぶことができた。名前は聞いたことはあったが、それまでクラフトコーラを一度も飲んだことがなく、半ば半信半疑で頼むことにした。クラフトビール、クラフトレモンサワーなどちまたには「クラフト」と名付けられたものが増えており、それらは確かに美味しくはあるのだけれど、クラフトコーラはそれらに便乗しただけのものではないかと訝っていたのだ。ところが出てきたコーラは、ほぼ透明の飲み物、どこからどう見てもコーラには見えない代物だった。近くで見てみるとそこに沈殿しているものがあり、どうやらそれがコーラらしきものらしい。よく混ぜて飲むようにと言われたので混ぜる。沈殿した物が濁りながらぐるぐる回る。そしてレモンを搾っていれた。

 混ぜてももちろんコーラらしき見た目になるわけではない。悪く言えばドブ水のような見た目で、目の前にいた妻にそう言おうと思ったが、口に出したが最後、その味もドブ水のようになってしまう気がした。

 果たしてどんなものだろう。素直にコカコーラでも頼んでおけば、と少し後悔しながらもまずは一口と飲んでみると、それはとてもスパイシーで深い味のコーラであった。あまりの美味さに衝撃を受けた。飲めば飲むほど底にまだ沈殿しているコーラの味が濃くなり、舌への刺激も強くパンチのある味になってくる。その味わいの変化もまた乙であった。

 「クラフト」コーラというくらいだから、それは手作りができるのではないか。そう思って帰宅後に早速調べてみると、さほど難しくもなく作ることができそうだった。材料を揃えて数週間後に作ってみた。レシピ通りに作れば、レストランで味わったほどの美味さではないにしても、美味しく飲むことができた。

 しかし驚いたのは、コーラに使う砂糖の量だった。作ったのは一杯分ではなく、炭酸水と混ぜて使う用のコーラの原液でそれで数杯分のコーラとなるのだが、スーパーで買った砂糖の袋を半分以上使ったのだった。その砂糖の量にかなり引いてしまった。僕はこれまでコーラを飲むのにどれだけの砂糖を摂取していたのだろう。ラベルを見ればどれほどの砂糖が使われているかを知ることはできるが、普段料理をほとんどすることがない僕にとってはそれは数値でしかなかった。それがクラフトコーラを作ったことで、リアルな量として迫ってきたのである。

 それ以来クラフトコーラを作ったことはない。が、今日書きながら改めて作ってみようかと思った。コーラの砂糖の量に引いたとは言え、コカコーラはたまに飲みたくなるものだ。久しぶりのことではあったが、数日前にもスーパーでコカコーラを買って飲んだばかりだ。コカコーラも美味しいけれど、クラフトコーラはスパイスが効いていてさらに美味しい。

 自分で作って砂糖の量を把握することによって、それがいくら美味しくても毎日飲むべきものではないことがわかる。自制しながら飲むことができる。自分で作らないと身に迫ってこないものだ。

 エッセイを読むことで掘り返される記憶がある。そのためにエッセイを読むわけではないけれど、エッセイに呼応するいかに自分が呼応していくのかということを楽しんでいる気がする。