Dancing To Papa

2024年出版 / B6サイズ・縦書き・190ページ

 二〇二四年のある日のこと。娘は五歳。ネットで購入した絵の具セットが届いた。

 初めての絵の具パレットを広げたばかりの娘に、パレットの使い方を教えてあげようと思い、パレットに絵の具をのせ、筆に水を含ませながら、様々な色を混ぜることで新しい色ができあがる、その過程を示してみせた。娘はパレットに混ざる絵の具の様子を一瞬見たものの、興味がなさそうにそっぽを向いてまっさらな画用紙を用意し、話し続ける僕の手から筆とパレットを奪い取り、画用紙に向かって描き始めた。

 娘はパレットに赤と青の絵の具をのせ、それぞれの色で画用紙にさっと横線を描いたかと思うと、その直後、それらの描いた線のうえに、直接白の絵の具を出した。赤と青で描いた線に、白の絵の具が物体として置かれているような形になった。そしてそのまま画用紙を半分に折って強く閉じた。

 娘は「こうすれば白が混ざるでしょ?」と言いながら画用紙を広げてみせた。赤と青が白に混ざりながらも、一方では白に押しつぶされている 。赤と青、そして混ざってできた薄紫が、混沌としたかたちで、それぞれの存在を主張していた。押しつぶされてもなお残る白の物体感。なるほど、色が混ざっているといえばたしかにそうだが、混ぜたというよりも色の合体といった方がいいのかもしれない。混ざるという言葉の概念が僕と娘では違うのだ。

 父になることも、娘が教えてくれたような「混ぜる」ことだったのかもしれない。

 五歳の娘にとってはまだ経験する多くのことが初めてであるが、初めてのことだからといって、一つ一つを確かめながらするということはない。今回の絵の具セットのように、僕や妻が教えることを待たずに、躊躇なく扱う。扱い方を知らない初めてのものだからこその大胆さを見せ、今回のように驚かされることもしばしばだ。

 寝る前には、高畠那生の絵本『おどってるこまってる』を一緒に読んだ。

 この絵本では、踊っている人と困っている人が交互に出てくる。絵を見るだけではそれが踊っているのか困っているのかわからない。ページをめくりながらそれを言い当てるのも面白いが、何度か読んでその答えを知ったあとでも、絵を見て二人で踊っているのか困っているのかあーだこーだ言い合うのがとても楽しい。

 「踊っている」ときと「困っている」ときの体の動きが実は近いものであることは僕にとっても娘にとっても発見だった。困っている人はうつむいて突っ立っているイメージがあるが、そうとも限らず、困っているからこそ体がどうしても動いてしまう。その様子は端から見れば踊っているように見えるのかもしれない。逆に、音楽に合わせて手をひらひらと動かしながら踊る人は、何か捜し物をしているようで困っていると映るかもしれない。

 育児の日々は、そんなふうに「踊っている」と「困っている」が紙一重のまま、毎日繰り返される。

 このZINEは、二〇一七年より日記としてブログにあげたものを編集し、エッセイへと形を変えたものだ。妻の妊娠・出産から、娘が生後半年までの成長する日々が綴られている。

 父になろうとしていた僕も、父になりたての僕も、身体の声に戸惑い、生活に押され、言葉にならない思考とともに揺れるように日々を過ごしていた。自分ではリズムがとれているのか、ただもがいているだけなのか、わからないままに。

 あいまいなステップで、身体と心はどうにか踊っていた。

 今回の本作成にあたり、父になり立てだった時期の僕の日記を読み返すと、自分のことながらどうかしているぞと何度も突っ込み、呆れ、そして時折腹を立ててまた身体を揺すったのだが、それが僕の父としての始まりだった。迷いながら、揺れながら、踊るように父への道を歩んでいた。

 しっかりと立つことのできない頼りない父かもしれない。ふらふらしている父かもしれない。もちろん妻の献身的な育児があったからこそであり、妻には頭が上がらないが、こんな父のもとでも娘は育っている。

 もがきながら、揺れながら、そして文字通り踊りながら、僕は父になっていった。

 たとえリズムが合っていなくても、ステップを踏んでいれば、何かが続いていく。

 そんな日々の記録である。


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